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写真NHK
角偉三郎 とういう方をご存知でしょうか。漆になじみのある方ならご存知かもしれませんが、2005年 65歳という若さでお亡くなりになられた漆工芸家です。
先日、日曜美術館で角偉三郎さんの特集をしていて、かなり見入ってしまった。

角さんが日常の「 椀 」を作るようになったのは40歳を過ぎてから。それまで角さんは、蒔絵や沈金など加飾をほどこした平面・オブジェをつくる作家として活動されてきました。日展や日本現代工芸美術展にも幾度と入選し、異例の若さで特選を受賞するなど、将来を期待されてきました。
あるとき さまざまな色を用いて作った角さんの平面作品をみて、審査員が「なんて素晴らしい漆の表現なんだ」と称えます。しかしその作品に使われた色は漆ではなく、アクリル絵具を用いたものだったのです。「自分が今までやってきたことは何だったのか、別に漆じゃなくても良かったじゃないか。。」そう感じた角さんは、漆芸作家という肩書きをいっさい捨て、偉三郎という~銘~とも決別します。「漆とは何か」 「漆が一番生きるのは何なのか」の 自問自答を繰り返し、苦悩の日々を過ごす中、角さんが魅せられていったのはやはり「生活の中の漆」 「使われてゆく椀」 なのでした。大ぶりで素朴な木地に漆をかけただけの椀。かつて大衆が暮らしの中で使っていた「合鹿椀」です。角さんは合鹿碗をよみがえらせることに情熱を注ぎます。
しかし今までとガラリと変わった角さんの作風に、世間はまるで冷たかった。まったく評価のされない日々が続き、孤独感にさいなまれていたと当時を振り返ります。
角さんの作品に、通常手に触れるとかぶれると言われる漆を、素手にとって豪快に塗りつける作風の椀や盆があります。これも伝統を重んじる輪島ではなかなか理解されなかったようですが、でもどんな周囲の冷たい声を感じながらも(本人は相当悩み苦しんでいたようです)、輪島にこだわり輪島にとどまり続けた先にいったい何があったのでしょうか。。。
また一方輪島の職人たちと共同で作り続けた「椀」も数多くあります。こちらもまた揺ぎ無い角さんの「椀」であり、輪島にいる一人ひとりの職人の「椀」でもあり、輪島の「椀」でありました。

最後に最も感動した角さんの言葉があったので記したい。
あらゆることに置き換えられる素晴らしい言葉だと思う。

「私の考える工芸・器は、個人のみでは終わらない。
椀木地師の力は 彼個人によるものだが、その力を押し出す背景がある。
彼の住む土地だ。
その土地をもった器でありたいと願う。
輪島の地が、私にとって一つの大きな工房といっていいかもしれない。」 ~角偉三郎のことばより~

角さんの意思は、亡くなった今でもしっかりと受け継がれていく。
伝統というのは残すばかりではなく、こうやって現在も作られていくものなんだ ということに気付かされた。

店主

【角偉三郎美術館】
【漆人~角偉三郎の世界】
【新日曜美術館】