5月の初め、被災地の宮城へボランティアにいってきました。

テレビやラジオからは笑い声も聞こえるようになり、
震災当初混乱の原因となったガソリン不足や計画停電、食料買占めもなくなり、
被災してない我々の生活は原発を除いて元に戻りつつあります。

一方時間はどんどん過ぎ去り、あの日が「過去」になってゆく。
我々の時間は流れているけど、止まったまま未だ苦しんでおられる方々が大勢いる。
その事に想像力を働かせ、自分自身一度立ち止まりじっくり考えてみたいという思いがありまして、
今回はじめてボランティアに参加してきました。

おこなった活動は、津波で半壊となった住宅のヘドロ除去と解体作業。

自治体が運営する災害ボランティアセンターの拠点となる体育館に早朝集まり、受付やボランティア保険の申請を済ませて
ひと通りの説明を受ける。人選は作業内容に応じ挙手制でおこなわれ、数人のチームが編成される。
私は9人程のチームに入り車で派遣先へと向かいました。
チームはリーダーが1人決められ、メンバー達に指示を出していく。
私が参加したチームのリーダーは、名古屋から1人で来ていた23歳の女性の方で
会社の有給を使い1週間程現地入りしているそうだ。
彼女のリーダーシップと初対面のメンバー達とのコミュニケーション能力、
的確な指示、男に負けない仕事ぶり、そして被災者への配慮には、一回り下とは言え、ただただ頭が下がる思いでした。
他のメンバー達もほとんど一人で来ている社会人が多く、
山形から数日間来ていた30代女性、秋田から5日間来ていた40代男性エンジニア、
神奈川から3日間来ていた30代男性公務員、那須から高校生の息子と沢山の農工機具を持って来ていた親子、
通っていた母校が近くだったという20代女性フリーターなど、
じっとしていられないと行動に移して集まってきた人達でした。

「日本人で良かった」

日頃から文化面で感じることはあっても、そういう感覚のものとは少し違う。
確実に「人」から感じるものでした。
とにかく沢山の「愛」が集まっていた。
大変な状況下である被災地で感じてしまう、矛盾した不思議な感覚でした。

私達が活動した先は60代男性のお宅でした。ご本人もいらっしゃいましたがご家族がどうなったかわかりません。
甚大な津波の被害を受けたエリアで、車で向かう途中海に近づくにつれ表れる凄まじい光景に恐しくなりました。
住宅地だった辺りは、骨格が残る家もあって中には新築のお宅も見られましたが、
とにかく町に人がいない。作業している人間が私達以外に誰一人と見かけない。
GWと少しかぶっていたので復旧作業をしてる人達を少しは見かけても良いものの、
どうしてかリーダーに訪ねてみると、周りの人達は未だ震災によるショックと今後の不安から、
もうここには住めないと家の解体を決めている人がほとんどなんだそうだ。
よく見ると取り壊しを示す旗がいくつも家の前に立っている。
土地を離れていく人達が大勢いる現実と、
誰もいない土地で一人もくもくと復旧作業をする人がいる現実。

二つの現実を目の前に、同じ被災者でも様々な思いの中過されていること、
そしてこうした数えきれない無数の迷いと決断が、被災地にはあるんだということを知りました。

ボランティアを終えて埼玉までの帰り道、福島の海岸沿いの道を通って帰ってきました。
あの惨状を未だどう表現してよいかわかりません。

震災から3ヶ月が経過し、放射能の問題は一考に収束のめどがたっていない。

今回はじめてボランティアに参加し、一度いったくらいでは何の力にもなれないことがよくわかりました。
ただ一つだけ気付いたことがある。それは私の中に「当事者意識」というものが生まれたことでした。
この「当事者意識」を多くの人達と共有することが、
きっと国難を乗り越えるとても重要な要素なんだと強く感じました。

支援の方法は多様にある。
想像力を働かせ、この瞬間も苦しみながらも前に進もうとする被災地の方達に思いを馳せ、
一日一日を一生懸命生きたいと思います。
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宮城にて
暑くなってきました。節電するぞー!
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co・zenの箸の頭色付け。右から左へ
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栄作が眠る東漸寺に住む猫
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ART BRUT JAPONAIS
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退助